≪インタビュー / CASE STUDIES / 祭礼・手筒花火≫
大宮煙火保存会 会長 桑高康全さん
愛知県蒲郡市の大宮神社。こちらは、加藤煙火の氏神様でもあります。大宮地区でも、渡御、笛、花火など、お祭りを中心とした地域の繋がりが紡がれてきました。しかし、2020年5月に、市内のすべてのお祭りで神事しか行わない方針が決定。お祭り野郎の桑高さんたちに火がつきます。
なぜ今回の花火を打ち揚げたのですか?
例年、10月の秋祭りの準備を5月から始めていますが、2020年は5月に緊急事態宣言が出て、市内の神社の関係者会議で、蒲郡中で秋のお祭りは神事だけしかやらない、と方針が決まりました。その状況下でしたが、自分たち大宮煙火保存会は、煙火の存続のためには何かやった方が良いのではないかということで、地域内にある中央小学校での花火を企画しました。 これは今までになかったことでしたが、中央小学校は地域の中心にあるし、加藤さんに聞いたら「学校に行かなくても見えますよ」ということだったので。
準備で大変だったことや、工夫したことを教えてください。
とにかく大変だったのは、花火の打ち揚げにOKを貰うことでした。責任問題になるとみんな引っ込んでしまうので(笑)その中で、宮司を始めとし、氏子総代、当番年行司の方々にも「応援したい」と言って貰えたことには、感謝の一言です。あの時、何かあったら、許可を出した人にも批判が行ったはずで、それでも覚悟をして許可をくれたことは心強く、大変嬉しかったです。最終的に、主催者を加藤煙火さんに、煙火の責任を保存会で引き受けて共に進めることになりました。 この花火は、大宮神社の氏子の皆さんのおかげで達成できたと思っています。まず校長先生にお願いに行きました。許可を下さったことに、今でも頭が下がる思いです。 その後は、花火打ち揚げの回覧板を出し、協賛のお願いをしました。状況も厳しいし、当初はいつもの半分くらいかと思っていましたが、予想を大きく上回り、9割以上の人が協賛してくれました。 実際に動き出すと、町の人たちはすごく楽しみにしてくれていることが分かりました。協賛のお願いをしている時など、すごく手応えを感じ、それを大事に使わないといけないと思っていました。
花火を打ち揚げてみて、どうでしたか?
そして当日。思っていた以上の良い花火が出せました。お祭りの最後に相応しい花火だったと思います。コロナ禍の規制がなかったら、氏子みんな会場に来てもらって観てもらいたかったです。 その後も、しばらく「良かったよ」、という声が続いて、初詣でも「素晴らしい花火だった、良かった」と言ってもらえました。苦情や批判も、これまで僕のところには一件も届きませんでした。 まだ神社に行くと看板が飾ってあります(笑)インパクトがあるし、みんな何もやれない中で、氏子のみんなでがんばったことが思い出されるので、節分くらいまで飾っておこうかと思っています。
これからの町やお祭りについて、考えていることはありますか?
コミュニティが作れるのがお祭りだと思っています。従来のお祭りの準備では、氏子内の毎年の役回りで同じ人との関わりが多かったけど、今回の花火で新しい繋がりもできました。それに、氏子の生の声も聞くことができ、それぞれのお祭りに対する考え方も分かりました。いろんな考えの人がいるのがお祭りで、やっぱりそれが面白いですね。 世間の状況は厳しいですが、知恵を絞って、毎年続けていくのが大切です。一回止めちゃうと、そのまま過ぎて行っちゃいます。せっかく培ってきた伝統文化がどんどん失われてしまいます。 子供の頃、急いで学校から帰って、昼ごはんもろくに食べず、山車に乗ってあそぶのがお祭りでした。当たり前のように笛も踊りも練習して、塾がある子も、お祭りには全員いたと思います。とても楽しかったし、あれを残したいです。 何かの関わりでお祭りに入っちゃった人もいるし、伝統を守ろうとする人もいるし、考えは違ってもお祭りに対する志はみんな同じです。その中で開催できたことにやはり意味があると思います。
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